稀勢の里 相撲を始めたきっかけは?野球の腕も半端なかったが何故?

   

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稀勢の里関の進退に注目が集まる今日このごろ

横綱という勝つことが宿命づけられたプレッシャーがとてつもないことがジンジン伝わってきますよね。

毎日、今日は勝ってくれと願っていますが、世間のこの想いが稀勢の里関に大きくのしかかっているのでしょうか。

進退をかけて臨んだ初場所、初日からまさかの3連敗で完全に追い込まれてしまっています。

ここから快進撃を見せてももう遅いのか、まだ望みはあるのか。

稀勢の里関が引退してしまうのか否か気になって仕方ありません。

普段は、力士について詳しく調べることはないのですが、

ここまで注目を浴びていますからね。

今回は、稀勢の里関がどんなきっかけで相撲を始めたのか気になったので調べてみることにしました。

どうやら少年時代は野球をされており、その実力はかなりのものだったようです。

何故、相撲という道を進むことになったんでしょうかね。

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それでは少しの間お付き合いいただければと思います。よろしくお願いいたします。

 

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稀勢の里は野球少年だった!あの強豪校からスカウトも?

稀勢の里関は小さい頃、野球少年であったことが分かりました。

稀勢の里関は小学校4年生の頃から野球を始めています。

小学生の頃はキャッチャーをされていて、中学校からはピッチャーもしています。

小さい頃から体は大きかったと思うので、

この存在感でのピッチャーですからね、球速もなかなかのものではなかったのではないでしょうかね。

中学時代には、現在楽天イーグルスでプレイする美馬学投手とも対戦経験があるようです。

稀勢の里関の本名は萩原 寛(はぎわら ゆたか)というので、

地元では荻原という名前のピッチャーとして有名だったのかなと思います。

その実力は甲子園常連校の目にもつき実際にスカウトもされていたようです。

稀勢の里関の出身地である茨城県の強豪校である常総学院などからお声もかかっていたとのこと。

このまま甲子園を目指してということになるかと思いきや、

「自分は体がデカイだけで野球はうまくない」ということでその勧誘を断っています。

なんとも謙虚な青年だったんですね。

 

横綱の稀勢の里

 

稀勢の里 相撲はいつから始めた?

ということは、稀勢の里関は高校から相撲を始めたのでしょうか。

調べてみると、

稀勢の里関は小学2年生の頃から相撲をやっていたようです。

小さい頃から相撲を野球もされていたってことですね。

地元の相撲大会でも自分より年上を相手に実力の違いを見せつけ優勝したこともあるようです。

相撲も強くて、野球も強いとなると、かなり器用だったんでしょうね。

ちなみに、

稀勢の里関の父親は、

中学時代は柔道をやってもらいたかったようです。

なので、小さい頃から相撲一本で将来は横綱を目指す力士に!というよりかは、

若い内はいろいろなことを経験してもらいたいという思いの方が強かったということなんでしょうね。

その中から、自分にあったものを選べばいいという教育方針だったのかな。

 

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稀勢の里を本格的に始めたきっかけは?角界入りを意識したのはいつ?

そんな稀勢の里関ですが、

本格的に角界入りを意識したのは中学2年生の頃のことです。

現在、稀勢の里関がいる田子ノ浦部屋の前にいた鳴戸部屋を訪れた際

親方は、いずれは必ず横綱になる逸材であると感じたのかぜひ入門してほしいと強く勧誘したそうです。

やはり親方レベルになると光るモノというのはすぐ分かるんでしょうね。

親方は、稀勢の里関のご両親や中学校の先生を熱心に説得したこともあり、

中学を卒業した後に、鳴戸部屋に入門をしました。

その後の稀勢の里関は、

本名の萩原 寛を四股名として相撲をとりますが、

貴乃花に次ぐ歴代2に早さで十両昇進まで一気に駆け上がっています。

個人的には、野球の道に進んでいたらどんな人生が待っていたのかもとても気になりますがね。

始球式とかやってもらえればよかったのにな。

 

ということで、今回は、

稀勢の里関が相撲を始めたきっかけについて書いてきました。

それでは最後までお付き合いいただきありがとうございました。

 

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